出産には多くのドラマがあります。
赤ちゃんが生まれる前にも生まれた時も生まれてからも。
ダウン症の赤ちゃんを授かった家庭では、生まれたばかりの赤ちゃんを前に明るく幸せいっぱいだった場面がいきなり暗転し、以降、家族の深く激しい悩みが続いていくシーンへと一挙にドラマは進んでいくことになります。
このままドラマは家族の深く激しい悩みにより、暗くジメジメとしたストーリーで進んでいくことになるのか…
しかし、それを決めるのは脚本家ではありません。
視聴者が決めるわけでもありません。
この場面からどのようなストーリーのドラマを描いていくのかは、ダウン症の赤ちゃんと家族が決めることになるのです。
今はおとなしく動きも乏しいダウン症の赤ちゃんも、明るく朗らかなその天性の才能をゆっくり少しずつ表に出してくる筈です。
ゆっくり少しずつ才能を顕にしてくる赤ちゃんを前に、家族がどのようなストーリーを望むのか。
このままずっと悲劇とするのか、暖かな家庭を描くホームドラマにしていくのか、深い悩みの中で決めていくのが家族の重要な役割になります。
◎ダウン症の赤ちゃんを出産するということ
ダウン症の赤ちゃんが生まれた時、多くのお母さんは生んだ自分自身を責めてしまうという話を聞きます。
私の身体に何か問題があったんじゃないか。
妊娠しているあの時に無理をしたせいじゃないか。
お酒をやめることが出来ず妊娠中もお酒を飲んでいたからではないか。
etc.
しかし、そのような事が原因でダウン症の赤ちゃんが生まれてきた訳ではありません。
そのようなことで自分を責め、自分を傷つけることは、せっかく生まれてきた赤ちゃんにとっても、お腹の中でずっと赤ちゃんを守り育ててきたお母さん自身にとっても良いことは一つもありません。
ダウン症の赤ちゃんは、世界中のどの国においても人種、経済状況などにかかわらず、約800人から1000人に1人の割合で生まれると言われています。
そのお母さんが生んだ赤ちゃんが、たまたま約800人から1000人に1人生まれてくるダウン症の赤ちゃんだったということ。
それ以外の理由は存在しないし、決してお母さんの身体や行動に何か問題があったということではないのです
公益社団法人 日本産婦人科学会のホームページを見ると妊娠後に残念ながら流産になってしまう頻度は15%程度あることが記されています。(参照url:http://www.jsog.or.jp/modules/diseases/index.php?content_id=4)
また、流産で最も多い(50~70%)原因は赤ちゃん自体の染色体の異常によるものとの記述もあります。(参照url:http://www.jaog.or.jp/note/2%EF%BC%8E%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93%E7%95%B0%E5%B8%B8/)
医師から告知を受けた際に説明を聞くと思いますが、ダウン症は染色体の異常による先天性疾患になります。
ダウン症は21番染色体が1本多い(21トリソミーと呼ばれています)染色体の異常になりますが、実はこの21トリソミーという染色体異常の場合も、出産を経て生まれてくるまで成長を続けることは少なく、その7~8割は妊娠中に流産になってしまいます。
(出典:フリー百科事典 ウィキペディア(Wikipedia)『染色体異常』)
このことは、流産することなく生まれてきたダウン症の赤ちゃん自身の、生きようとする生命力の強さ、たくましさを物語っているものと言えますし、その赤ちゃんをお腹の中で守り育ててきた母体が、ずっと健全であったことの何よりの証拠になっています。
つまりダウン症の赤ちゃんを出産するということは、
お母さんの身体に何か問題があったからダウン症になったわけではなく、ダウン症という染色体の異常があるのに、お母さんの愛情に包まれたお腹の中で成長を続け生まれてきた
ということになります。
◎ダウン症の青年オイタの誕生とその後の20数年
オイタパパの次男(以下、オイタと表記します)はダウン症のある20歳過ぎの青年です。
オイタにダウン症の疑いがあると医師より告げられたのは出産後2ヶ月程度経ってからのことでした。
まさに冒頭に描いたような深く激しい悩みが続いていくドラマの幕開けでした。
(生まれた頃の模様については『ダウン症の診断。可愛いかった赤ちゃんが違う何かになった日』という記事で紹介していますので、是非、ご参照下さい)
深く激しい悩みのシーンから幕を開けて20数年たった今、オイタ一家のドラマはどのような展開となっているのでしょうか?
今も悲しみに明け暮れるシーンが続いているでしょうか?
答えは『No』です。
オイタは明るく朗らかなその天性の才能を十分に開花させ、周囲の人を笑顔にし、すっと和ますことができるマスコットのような存在に成長しています。(『ダウン症とコミュニケーション。明るく朗らかな性格が武器』参照)
また、毎日作業所に通い働き、家ではゲーム・カラオケを楽しみ、週末は親友と遊ぶという充実した日々を過ごしています。(『ダウン症の大人。オイタの暮らしぶりを密着レポートします』参照)
もちろん楽しいだけということは有り得ませんが、今のオイタの家には、ダウン症の子供がいるという理由の悲しみは存在しません。
上では『このままずっと悲劇とするのか、暖かな家庭を描くホームドラマにしていくのか、深い悩みの中で決めていくのが家族の重要な役割』などと偉そうな書き方をしていますが、そんな大げさなことは考えなくても、オイタと家族が自然体で暮らす中で今の生活が出来上がりました。
以前『ダウン症が大変な理由。受け容れるのには時間が必要』という記事で書きましたが、自分の子供がダウン症であると受け容れることは、時間がかかる大変なことだとオイタパパは考えています。
焦ることなくゆっくり時間をかけて自分たちの生活を作っていけば良いのではないかと思います。
今日のお話は以上となります。
最後までお読み頂きありがとうございます。
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