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ダウン症の診断。可愛いかった赤ちゃんが違う何かになった日

この記事を読むのに必要な時間は約 9 分です。

ダウン症の疑いがあります。染色体検査を受けて下さい。

オイタパパです。

今、ダウン症の診断というと生まれた後に診断を受けることよりも、どちらかというと『出生前診断』のことをイメージすることが多いかもしれません。

しかし、出生前診断がかなり一般的になってきたとはいえ、まだまだ出生前診断を受けずに出産する場合のほうが多いかと思います。

 

赤ちゃんが生まれてすぐの時はまず無事に生まれたことに感謝し、そして少し落ち着いたところで赤ちゃんの身体に何か変わったことがないかを確認しホッとひと息。

食べたいくらいに可愛い赤ちゃん。目に入れても痛くない赤ちゃん。そんな可愛い赤ちゃんが我が家にやって来ました。

 

しかし、ある時医師から思いもかけない一言を聞かされました。

「ダウン症の疑いがあります。染色体検査を受けて下さい。」

 

ダウン症の次男(以下、オイタと表記します)が生まれた20数年前には、今のような遺伝子レベルでの出生前診断というものは恐らく存在していなかったのではないかと思います。

今日はオイタがダウン症と診断を受けた時のことについて、当時のことを思い出しながら書いていきたいと思います。
(と書いてはいますが、実は診断を受けた前後のことを夫婦揃ってあまり覚えておりません。突然の衝撃的な告知に軽く記憶がショートしてしまったのかもしれません)

 

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ダウン症の診断を受けた時の衝撃の大きさ

生まれたときのオイタの様子

オイタはオイタの母(以下、オイタアーヤンと表示します)が里帰りし、オイタアーヤンの実家近くの個人経営の産科医院で生まれたのですがダウン症であることの告知を産科医院からされることはありませんでした。

産後の経過も良く特段の問題もなかったので、予定通り生まれてから1週間ほどで母子揃って退院し、そのままオイタアーヤンの実家での生活が始まりました。

 

オイタアーヤンの実家での暮らしの中で、オイタにはいくつか気になる点がありました。

・舌をペロペロとよく出す
・足の中指が両足とも一番短い
・頭頂部を床につけ反り返ろうとする
・母乳をあまり飲まない
・あまり泣かない

このように気になる点はあったのですが、当時30歳にもまだなっておらず体も健康だったオイタパパ、オイタアーヤンの頭の中には『先天的に疾患を持った赤ちゃんが我が家に生まれる』という考えが全く存在していなかったため、それほど気にかけることもなく1ヶ月ほどオイタアーヤンの実家で過ごした後、オイタパパの待つ自宅へ新幹線で戻りました。

 

生後一ヶ月検診

自宅へ戻る前には生まれた産科医院にて1ヶ月検診を受けましたが、この時もダウン症については特に触れられることはありませんでした。

ただ、本来であれば入院中に行われるはずの母乳指導がなかったこと、実家より自宅に戻った後に総合病院で診察を受けるように勧められたことなどを考えると、産科医院ではオイタがダウン症の疑いがあると考えていたものと思われます。

今となっては想像の域を出ませんが。
(この産科医院については『ダウン症と顔。特徴は生まれてすぐに判別できる?』という記事でもう少し詳しく書いていますので、よろしければご一読下さい)

 

新しい暮らしのスタートと不安

オイタパパ、オイタアーヤン、オイタ兄、オイタという家族4人での暮らしのスタートです。

自宅に戻ってきてオイタアーヤンが一番心配したのは、母乳の飲みが悪いということでした。

長男オイタ兄の時は母乳自体があまり出なかったのですが、今回は母乳が溢れるほどに出るようになっています。

それなのに肝心のオイタが母乳を飲んでくれない。
かといって、粉ミルクなら飲むという訳でもない。

どうして。。。。?
考えたところで分かることでもないので、オイタアーヤンは行動に出ました。

 

オイタがどうすれば母乳を飲むようになるのか?
電話帳でそういった相談に乗ってくれそうな所を探し始めたのです。

当時は今のようにインターネットで何でも調べられる時代ではなく、分からないことがあれば本で探すか人に聞くしかない時代です。

また、知合いに詳しい人がいなければ電話帳などにより、相談できそうな所を探すというのも一般的な方法でした。

オイタアーヤンが電話帳で探しだしたのは『桶谷式母乳管理』という方法により母乳指導をしてくれる助産院でした。

 

母乳指導の助産院にて

助産院では桶谷式手技による母乳マッサージを中心に指導を受けましたが、助産師さんからは母乳自体は出ているので母体の問題ではなく、オイタ自身の吸う力が弱いか、あるいは乳首の吸い方に問題があるのではないかとの話がありました。

 

数回指導を受けた後、助産師さんより、標準体重の範囲ではあるが大きく生まれた割に今の体重があまり増えていないことが心配、ということを言われ総合病院の小児科での診察を勧められました。

ベテランの助産師さんであったこと、町医者ではなく総合病院での診察を勧めたことなど、この助産師さんも知っていながらダウン症の可能性があることをわざと話さなかったのではないかと思われます。

産科医院と同様、今となっては想像の域を出ませんが。

 

総合病院でまさかの診断

そして自宅近くの総合病院へ。

オイタ兄もまだ幼稚園にも通いだしていなかったため、総合病院へは親子4人で揃って行きました。

そこで小児科の先生より、思いもかけなかった病名を告げられます。

 

『ダウン症候群 ダウン症と一般的には言われている先天性疾患の疑いがあります。』

???
理解が全く追いつきません。

 

まだ検査もしていない段階だったので、ダウン症についての簡単な説明だけ担当の先生はしてくれました。

また上に書いた『舌をペロペロとよく出す』などの以前から気になっていたことは、全てダウン症の赤ちゃんに当てはまることだと言われたと思います。

そして染色体検査の予約をし帰宅。

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そしてオイタが何かに変わった

たった今までいつみても可愛い赤ちゃんだったオイタは、この日を境にオイタパパとオイタアーヤンの頭の中の半分で、重苦しい何か別のものに取って代わられました。

一人の赤ちゃんの中に可愛いオイタとダウン症のオイタが半分ずつ。

ダウン症ってなんだろう?

これからオイタはどうなるんだろう?

これから家族はどうなるんだろう?

いや何かの間違いじゃないか?

検査をすれば間違いだったと分かるのかもしれない。

答えのない問いかけがずっとオイタパパとオイタアーヤンの頭の中で駆け巡ります。

 

確定診断

そして数週間後にオイタはダウン症候群との確定診断を受けました。

また、心臓に異常があるということで診断を受けた病院に循環器科がなかったため、別の病院を紹介されました。

ここからしばらくの間、オイタパパとオイタアーヤンの頭の中から可愛いオイタはいなくなり、ダウン症のオイタだけが残りました。

 

オイタが変わった訳ではない

しかしオイタは決してダウン症のオイタになった訳ではありません。

可愛い赤ちゃんだったオイタは、今も可愛い赤ちゃんのままです。

オイタが違う何かに変わってしまったと思い始めたのは、オイタパパとオイタアーヤンの頭の中だけのことなのです。

可愛い赤ちゃんが、ダウン症だと分かったからといって可愛くなくなるなどということは有り得ないことなのです。

 

そのことにオイタパパとオイタアーヤンが気付くには少し時間がかかりましたが、家族みんなでとにかく前を向き歩き続けた結果、今もオイタはオイタの家で幸せに暮らしています。

オイタパパとオイタアーヤンの気付きの一つは『ダウン症と天使。天国の特別な子どもを託される家族』という記事で紹介しております。よろしければご一読下さい。

 

他の気付きの話については、これから少しずつ思い出しながらお話しさせて頂ればと思います。

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ダウン症と出産
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