スポンサーリンク

ダウン症は個性。そう言われても説明なければ理解できない

この記事を読むのに必要な時間は約 9 分です。

ダウン症は個性 という言葉は 世の中の 共通認識には なっていない

オイタパパです。

ダウン症であることの告知を行う際に「ダウン症を個性と考え育てましょう」といったお話をされるお医者さんがいる ということを聞くことがあります。

ダウン症を個性と考えて育てる?

 

なんとなく分かったような気になる表現ですが、よく考えてみるとオイタパパには今ひとつ意味が分かりません。
オイタパパの国語力が足りないのでしょうかね。

 

ダウン症の赤ちゃんを授かり、戸惑いと衝撃の真只中にあるお母さんやお父さんへ、この医師はどのような意図で『ダウン症は個性』という表現を選び、何を伝えようと考えているのでしょうか?

今日は、ダウン症は個性について、考えてみたいと思います。

 

スポンサーリンク
スポンサーリンク

ダウン症は個性とは

医師が『ダウン症は個性』と表現した意図を推測してみる

ダウン症の赤ちゃんを授かったばかりの親は、戸惑いと衝撃の真っ只中です。

また医師は、親がそのような状態になっていることを十分に承知しているはずです。

とすれば、こういう場面に置いて医師が口にするする言葉には、慰めや励ましの意味が含まれていると考えてよいかと思います。

このため、ダウン症というネガティブなイメージがある言葉を、個性というどちらかと言えばポジティブなイメージの言葉に置き換えることで、前向きに考えましょうということを伝えたかったのではないでしょうか。

 

つまり告知の際に医師が使う『ダウン症は個性』というのは、

ダウン症をネガティブに捉えるのではなく、ポジティブに前向に子育てしていきましょう。

といった励ましの意味を持つ言葉であると推察できます。

 

『ダウン症は個性』の実際の使用例はウェブ上にもいくつかあります。

 

例えば滋賀県立小児保険医療センター

例えば滋賀県立小児保険医療センターのホームページでは、ダウン症の説明として以下のような書き方がされています。

この疾患(あるいは個性と言ったほうが相応しいか)を持つ児童は、音楽、リズム、ダンスなどに優れた能力を発揮します。
10年程前ですが、米国の有名な音楽家が実はダウン症の患者であった、という話しを聞いたことがある人もおられるでしょう。
出典:滋賀県立小児保険医療センター 整形外科 『疾患について:ダウン症』
https://www.pref.shiga.lg.jp/mccs/shinryo/sekegeka/shikkan/107454.html

 

例えば出産専門のジャーナリスト

また、出産専門のジャーナリストの方が書くコラムでも書かれています。

いつの日か、新型出生前診断もダウン症の子どもがタイミングよく良い治療を受けるための検査になるかもしれない。知的障害の度合いは必ずしも幸せを決めるものではないだろうし、ダウン症は個性であるという観点に立てば治療という表現も適切かどうかはわからない。
出典:WOMAN PRESIDENT 『ダウン症の「出生前“治療”」ができるようになる?』
https://president.jp/articles/-/12106?page=2

 

例えばダウン症親の会

更に、当事者に近いダウン症親の会のサイトでも以下のような表記があります。

会の活動の様子等を発信し、ダウン症という個性を持ってこの世に生を授かった後輩たちの為に、私たちぽけっとの会が少しでもお役にたてることを日々願っております。
「焦らず、たゆまず、ゆっくりと。そして一日一日に有り難う」
出典:日本ダウン症協会 新宿支部(東京)『ぽけっとの会創立20周年記念サイト』
https://www.shinjuku-pocket.com/2018/12/01/20th-top/

 

スポンサーリンク

『ダウン症は個性』が意図することは共通認識になっていない

『ダウン症は個性』には、ネガティブな言葉をポジティブな言葉に置き換え、前向きに考えましょうという発信者の思いがあることについては先に述べました(ただし、オイタパパの推測)。

が、実はオイタパパ自身はこの表現が未だに腑に落ちておりません。

 

オイタパパは迷宮へ

オイタパパの単純な頭で『ダウン症は個性』という言葉を聞き、その意味を考えると以下のような思考の巡りになります。

①個性というとその人特有の性質、気質といった感じの意味かな?

②つまり『ダウン症は個性』とは、病気ではなくダウン症という性質、気質であると考える?

③でもダウン症という性質、気質ってなんだろう?

④知的障害がある/心身の成長がゆっくり/特徴的な顔立ち/筋肉の緊張の低さetc.か?

⑤だとすると、知的障害という性質/成長がゆっくりという性質/特徴的な顔立ちという性質etc.ってこと?

⑥ん?

⑦だから??

⑧結局は、気持ちの持ちようだから、前向きに考えましょうってことかな???

 

オイタパパの単純な頭でたどり着いたのは迷宮でした。
迷宮から抜け出すために『気持ちの持ちよう』とし、曖昧な答えに無理矢理たどり着いたという感じです。

 

もしかすると②で止まると正解かも知れないのですが、
ダウン症には様々な症状や特徴があり、その発現の仕方は人それぞれに異なります。ダウン症で唯一共通しているのは21番染色体が3本あることだけです。

 

一方、個性って”その”人の性質、気質ですから、それが”ダウン症”ってどういうこと?と迷いそこでは止まれないのです。

なお、以上の考えはあくまでもオイタパパの考えであり、正解ではないことに留意下さい。

 

まだ共通認識にはなっていない

一つ言えるのは『ダウン症は個性』という表現が意図することは、まだ共通認識化されておらず、受け手の判断に委ねられる状況である ということだと考えます。

 

例えば冒頭のように告知の場で、医師から親へ『ダウン症は個性』と発信した場合、
この場合の受け手である親に冷静に判断できるだけの余裕があれば、分からないことは質問することで補うことが出来ますが、そうでなければ分からなくても聞き流すことしか出来ません。

 

ただでさえ戸惑いと衝撃の真っ只中にあり混乱している親が、『ダウン症は個性』といった謎掛けのような言葉を医師から受取っても、その裏にある意図を汲み取ることが出来るとは思えず、逆に医師に対し不信感を抱くことさえ考えられます。

 

確かに『ダウン症は個性』や『障害は個性』などの表現を、最近はよく見聞きするようになっているとは思います。

しかしそれらは、ダウン症を含む障害を身近に捉えている環境にいる人にとっては、という限定がつきますし、その限定内でもその表現が意図することは、まだ共通認識とはなっていません。

 

おわりに

昨日までまさか自分の子供が障害を持つことになる とは考えもしていなかった親にとっては、初めて聞く表現であることも多いはずで、発信者にはその空気感も敏感に察知し、わかり易い表現で説明、補足等していただきたい というのがオイタパパの願いになります。

 

また、本やウェブなどのメディアに載せる場合も、『ダウン症は個性』という表現の意図することは、まだ世間一般の共通認識とはなっていない ということを念頭に置き、わかり易い表現で説明、補足等していただきたい と考えます。

 

今日の話は以上になります。

もし、オイタパパの国語力が足りておらず、誤った解釈をしている箇所があれば、お手数となりますが、ご指摘およびご指導をお願いします。

最後までお読みいただきありがとうございます。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
ダウン症と出産
オイタパパをフォローする
~オイタの家~ ダウン症の子供と家族のありふれた暮らし