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オイタパパです。
ダウン症のある子どもが幼稚園に行く。
今もいろいろなハードルがあり、悩みを抱えている方もたくさんいるのではないでしょうか。
オイタパパの次男(以下、オイタと表記します)はダウン症のある20歳過ぎの青年です。
彼が幼稚園に通いだした20年近く前は、今ほど国や自治体からの支援制度も充実しておらず、また障害を持った子どもに対する理解もあまり進んではいない時代でした。
まぁ障害を持った子どもや人への理解が、現在は進んでいるのかと言うとそれも微妙なところかも知れませんが…
今日はオイタが幼稚園に通うようになった頃のことについてお話をさせて頂きます。
ダウン症のある子どもが幼稚園を選ぶ理由とは
療育施設から幼稚園へ
オイタは1歳になる少し前から、住んでいた地域の自治体の療育施設に母であるオイタアーヤンと毎日通うようになりました。
途中、オイタパパが転勤となり関東から関西へと引越しするということになりましたが、新しい住所でもスグに手続きを行い地域の療育施設に通うことが出来ました。
療育施設ではオイタの発育状態に合わせながら適切な療育を考え実施して頂き、オイタもゆっくりではありますが順調に成長を続けることが出来ました。
小学生になるまでは、そのままその療育施設で過ごすことも可能でしたが、オイタが4歳になった翌春(幼稚園年中の年次)から、オイタアーヤンの強い思いにより進路を幼稚園へと変更することとなりました。
オイタアーヤンは健常な子どもと一緒に生活することが、オイタに好影響を与え成長にも大きくつながるという思いを強くもっていたのです。
なぜ幼稚園を選ぶのか
確かに療育施設は、オイタの特性に合わせオイタの成長を考え療育プラグラムを組み実施してくれます。
しかし、そこには同年代の子どもが持つ、強く弾けるような特有な刺激は存在しなかったのです。
周りに子どもはいます。
しかし、かならず側に大人がついているのです。
大人 対 オイタ | 大人+オイタ 対 大人+友達 | オイタ+大人+友達
もし、療育施設にそのまま留まれば、これから更に2年間続く環境になります。
枠にはまった成長は出来るでしょう。
しかし、何かが足りないような気がする。
そういった思いがオイタアーヤンを強く動かしたのです。
療育施設の反応
療育施設の職員の方々からは強く反対を受けました。
オイタにとって必要なのは、オイタの成長に合わせたきめ細やかな療育を受けること。
大勢の子どもがいる幼稚園ではそんなことは望むべくもない。
この恵まれた環境を自分から手放す必要がどこにあるのか分からない。
もっともな意見です。
しかし、オイタアーヤンの意志は揺らぎません。
今、オイタに必要なのは、同年代の友達の持つ枠にはまらないエネルギーのようなもの。
文字や言葉は少し遅くなるかも知れないけど、強い刺激がオイタを人として成長させてくれるはず。
そう考え療育施設から卒業する道を選択したのです。
幼稚園が決まるまで
希望はオイタ兄が通っていた近所の私立幼稚園でした。
そこが駄目なら別の近所の私立幼稚園。
それでも駄目なら近所の公立幼稚園を目指します。
オイタ兄が通う私立幼稚園
オイタ兄はオイタより3歳上になります。
オイタ兄が通う幼稚園は、キリスト教系の幼稚園でとても若い女性の先生が多く、オイタパパも休日の送り迎えを喜んでするような幼稚園でした。
オイタ兄が幼稚園の年長さんになって暫くしてから、オイタアーヤンとオイタパパはその幼稚園の園長代理先生を訪ねて、オイタが翌年から通園することが出来ないか相談しました。
園長代理先生は実際のお年は分かりませんが、かなり年配の優しそうな女性の先生です。
園長は別の男性がされているそうですが、その幼稚園については、園長代理先生が全て取り仕切っているとのこと。
園長代理先生曰く、
・これまでこの幼稚園に障害を持つ子どもが通ったことはない
・若い先生が多く障害児教育が出来る先生はいない
とかなり後ろ向きではありました。
しかし、それにもめげず強くお願いをしたところ、休園日に実施している3才児向けの運動教室に通ってもらい、様子を見てから考えるというのはどうか?との提案を受けました。
そして3ヶ月ほどの間、オイタとオイタパパは毎週土曜日その私立幼稚園へ通うようになりました。
運動教室は1回90分程度で、内容はNHKの番組『おかあさんといっしょ』のような感じで音楽に合わせて体を動かすものでした。
運動教室は3才児対象でしたが、オイタは一つ上の4才児です。
普通に歩けるようになって時間も経っており、オイタパパが見る限り特に他の子どもに比べ酷く差があるとの印象はありません。
それは3ヶ月間通い終わった後にも思ったことです。
しかし、運動教室で様子を見て考えるといった園長代理先生からの回答は『NG』でした。
最初の相談の時に言われた、
・これまでこの幼稚園に障害を持つ子どもが通ったことはない
・若い先生が多く障害児教育が出来る先生はいない
を繰り返し、そして運動教室の様子を見て考えるとオイタを幼稚園で受け入れることは無理とのことでした
何となく察してはいましたが、改めて突きつけられると悲しくなるものでした。
近所の有名私立大学付属の幼稚園
次に相談に行ったのは、これも少し頑張れば徒歩で通える有名私立大学付属の幼稚園です。
園長先生は今のオイタパパと同年代くらいでしょうか、少し活動的な雰囲気の女性の先生でした。
この幼稚園でも先程の幼稚園と同じように
・これまでこの幼稚園に障害を持つ子どもが通ったことはない
・若い先生が多く障害児教育が出来る先生はいない
という話ではありましたが、園長先生個人としては健常児と障害児を分けて考える必要はないとのお考えをお持ちでした。
ただ、一存で決めることは出来ないとのことで、クラスの先生その他園関係者と相談の上、回答頂けるというかなり期待の持てる嬉しいお答えを頂きました。
しかし、2回めに訪問させていただいた時に期待は綺麗に吹き飛びました。
『障害児』という言葉の持つインパクトは大きかったようで、話をまともに聞いてくれる人はおらず、皆即答で『障害児を預かるなんて、うちでは無理でしょう』と話にならなかったそうです。
期待を膨らませた分、一段と悲しくなるお話でした。
世の中は厳しいものです。
近所の公立幼稚園
実は近所の公立幼稚園は、以前に障害を持つ園児が通園していたことを知っていました。
詳しく話を聞くと基本的に障害があることを理由に拒絶されることはなく、状況により加配の先生もつくということが分かりました。
しかし、一点大きな問題があったのです。
それは『くじ引き』。
もし、定員をオーバーした場合には、健常児も障害児も区別なく一緒にくじ引きになります。
定員を超えるかどうかも分かりませんが、もし超えれば運命をくじ引きに委ねることになります。
そして…
数名の定員オーバーがあり実際にくじ引きすることに…
オイタの新しい生活は、オイタアーヤンのくじ運に委ねられました。
結果は…
無事当選!
これでオイタも4月からは幼稚園児に。
同年代の友達の持つ、枠にはまらないエネルギーの刺激の中での生活が、いよいよ始まることになったのです。
今日の話は以上となります。
最後までお読み頂きありがとうございます。