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ダウン症の父親。サポートだけじゃなく一緒に子育て頑張ろう

この記事を読むのに必要な時間は約 16 分です。

必要なのはサポートじゃなく一緒に子育てすること

オイタパパです。

ダウン症の子供を持つ父親って表舞台に出てくることが少ないですよね。

もちろん全員がそうだという話ではなく、例えば日本ダウン症協会の今の理事長である玉井邦夫さんなどは、日本のダウン症の親の会の総本山とも言える組織の最前線に立たれている訳ですし、他にも多くの分野で活動されておられる方もいます。また、ブログ等を運営されている方もたくさんいらっしゃいます。

 

ここで言う表舞台というのは、もう少し身の回りに近いダウン症の子育てにおける表舞台と言った方がいいのでしょうか。

言い直してみると、
ダウン症の子供を育てていく上で、子育ての主体となっているのは母親で、父親はそのサポートといった役回りであることが多いように感じます。

 

まぁそれってダウン症の子供の子育てに限った話ではなく、昔から日本における子育ての傾向というか実態なんですけどね。

そして、そんなことを言っているオイタパパ自身もダウン症の次男(以下、オイタと表記します)を育てる主体であったかというと、そうではなくて、オイタの母(以下、オイタアーヤンと表記します)に任せっぱなしで、たまにお手伝いって感じで過ごしてきました。

 

しかし、サポート役であるからと言って、オイタがダウン症だと分かった時に何の心の葛藤もなかったかというと、そんなことはなくやっぱり強い衝撃を受け、悩んで、苦しんでといった経験をしてきてるんですよね。

これは多くの家庭でも同じような状況ではないかなと思うのですが、父親って表舞台に出ることが少ない分、クローズアップされることも少ないのかなぁと。
まぁ当然といえば当然なことなんですけど。

 

ということで、今日はダウン症の子供の父親について、考えてみたいと思います。

 

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ダウン症の子供を授かった父親の心の動き

今回、ネット上で『ダウン症の子をもつ父親の心理的体験のプロセス』と題された埼玉大学 教育学部で行われた研究の研究論文資料を見つけました。

ダウン症の子をもつ父親の心理的体験のプロセス

この研究論文資料は、ダウン症の子供の父親に的を絞り、父親の心理的体験を明らかにしていくことで、ダウン症の子供がいる家庭へのサポート、支援を充実させることを目的に平成27年4月~11月の間で9人のダウン症の子供を持つ父親に面会し、調査した結果を踏まえ、研究成果としてまとめたものになるようです。

 

〔研究論文資料入手先〕
この調査に関する研究論文は以下のURLにて公開されています。(クリックするとPDF資料のダウンロードが始まりますのでご注意下さい

埼玉大学機関リポジトリ:学術情報発信システムSUCRA
https://sucra.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=17806&file_id=24&file_no=1

 

この研究論文資料を読み、オイタパパが面白いなぁと注目したのは、自分自身では気づかないような心の動きが、専門家にまとめてもらうとこういう風に文章として表現されるもんなんだということ。

もちろんオイタパパが調査対象になった訳でもないのですが、同じような感情になってたなぁと思うことが随所に出てきてるんですよね。

 

まぁオイタパパが今更この研究論文資料を読んだところで、自分史を見ながらノスタルジックに浸るだけと言う感じですが、ダウン症の赤ちゃんを授かり、今まさに衝撃の真っ只中にいるお父さん、お母さんが見ると、これから先の展望が少しは開けるようになるんじゃないかなぁと思います。

ということで、この資料に書かれていることから、いくつかピックアップして紹介させて頂きます。

なお、参照文内の「 」は調査時の父親の言葉となります。

 

 

家族を支える父親(告知前後)

・家族を支える父親(告知前後)
障害児の誕生とは、『家族にとっての一つの大きな危機』である。告知を受けた父親は、自身のショックを心の奥に隠し、ショックで泣いている妻の姿を目の当たりにし、「慰めるしかなかった」 と自分の役割を即座に認識することで危機的状況にある家族をなんとか守らなければ、という使命を負う。
ここでは、子供の父親としてよりも、家族全体を俯瞰したことにより、主に母親をサポートすることで、結果的に家族機能のバランスを保とうとする『家族を支える父親』の自覚であると捉えた。

オイタパパもこれは本当にそうでしたね。

自分自身、相当な衝撃を感じてる訳ですが、やっぱり母親の方がショックは大きいと考えますよね。だから自分の中で”大黒柱な俺”を作り上げて、大丈夫、問題ない。何とかなるよって強がりながら奥さんを励ますんですよね。

何とかなるよって全く励ましになってないけど、自分でもこれからどうしていいか分からないんで、言葉が浮かばなかったんでしょうね。

 

自己の偏見と向き合う苦悩(告知~療育・就園)

・自己の偏見と向き合う苦悩(告知~療育・就園)

ほとんどの父親がこれまで、障害に対して『障害=不幸』 というマイナスのイメージや「正直ね、これまで普通に障害者の差別もしてたしさ」 と何らかの偏見を持っていた。

 

父親は、我が子がダウン症であるという告知を受けた時、また療育や就園などをきっかけに我が子と共に社会の目に触れた時には精神的にショックを受け、〈周囲の目が気になる〉〈隠したい〉 という気持ちに苦しんでいた。

隠そうとする殻の形成は我が子やその親であると知られたくない内なる障害に対する偏見に由来する。

 

つまり自己の偏見を、思い描いていた我が子の姿や社会一般に重ねたことによる引け目や後ろめたさの気持ちであり、そうした自己の偏見は、障害児である我が子を受け入れようとする父親を苦しめていた。

オイタパパの場合も『障害=不幸』というイメージはありましたね。そして『なんでうちの家なんだ?』という思いをかなり長い間持っていました。
で、オイタが目の前で笑っているのに、そんなことを考える自分が嫌になってました。

 

職業人としての父親(療育・就園頃)

・職業人としての父親(療育・就園頃)

子供が療育や就園の時期に入ると、「時間的にはとりあえずそういう手続きとかそういった類のものは…(妻に)任せて」 と多くの父親は仕事という時間的な制限があり、妻に子育ての一部を任せ、「この子がいるから頑張らないと」 とダウン症児の父親であることを受け入れたと同時に自分にできることを自覚し、仕事に専念する姿があった。

 

障害児の家庭であっても『家事は母親』『仕事は父親』という『性別役割分業』は一般的な家庭と変わらなかったが、ここで発見できた職業人としての父親の姿は、決して育児に対して消極的な役割の引き受けなどではなく、子育てを頑張っている母親の労をねぎらいながら、「この子がいるから頑張らないと」と父親なりの子育ての役割分担として主体的に職業人としての役割を引き受ける姿であったことを強調したい。

 

しかし、ダウン症乳児の母親が父親に期待する役割について、子供との直接的な関わりや積極的な育児を期待しており、母親と父親との間には、育児に関する期待や役割意識に差があることがわかった。

ここは研究者の父親への肩の持ち方が笑いのポイントですね。

父親は子供にダウン症があろうがなかろうが、「この子がいるから頑張らないと」と思って働いているし、家庭収入の多くを稼ぐことを免罪符にして、育児に対して消極的なんだと思いますから。

 

まぁ、オイタパパも出来ることはやって来たつもりではいますが、やっぱりオイタアーヤンに任せっぱなしだったなぁと感じるので、そこは反省が必要だけど、働かないと家庭生活が崩壊してしまうのも事実ですから、バランスが難しいですよね。

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理想と現実とのズレによる苦悩(学齢期頃)

・理想と現実とのズレによる苦悩(学齢期頃)

学齢期には、確実に成長する我が子に喜びを感じ、さらなる成長の期待や教育方針として通常の子供たちと同じ環境で育って欲しいという理想を抱いていた。

しかし、学齢期は通常学校を経験しているケースや地域の行事などで児と同年代の子供たちとの比較を余儀なくされる時期でもあった。そこで、我が子の遅れや我が子に対する学校側の対応の難しさなどの現実を認識し、戸惑いを感じていた。

 

ダウン症児の母親は、療育や就園の時期に、すでにそのズレを体験していた。

一般的に子育てにおいて多くの父親の場合、実際に母親が担っている役割ほどには質・量(時間)ともに関わることは少ないことからも母親の方が子供の状態を把握する時期が早いと考えられ、夫婦間で差が生じていた。

オイタは公立の幼稚園を卒園した後、そのまま地域の公立の小学校に入学しました。

幼稚園ではそれほど健常な子との差を悲観的には見てなかったと思うのですが、小学校では違いました。

 

小学校では、普通クラスと特殊学級(今の特別支援学級)の両方に所属して、国語と算数は特殊学級側で授業を受け、それ以外は普通クラスで補助の先生が横に座って授業を受けていました。

で、参観等に行くと厳しい現実を目の当たりにしちゃうのですよね。
全く授業についていけてない、というか、その場にボーッと座っているだけの息子が目の前にいる訳です。

低学年の間はまだ少しは授業に参加してる感が有りましたが、高学年になってくると、オイタにとってもこの時間は単に苦行になっているな と感じてしまい、本当に見ているのが辛かったですね。

 

子育てを楽しむ父親(学齢期頃)

・子育てを楽しむ父親(学齢期頃)

学齢期に入ると健常児との比較によって我が子の遅れや現状を改めて認識する時期でもあるが、周囲や学校側の理解ある支援により、「一つ一つの小さな成長が嬉しい」 と我が子の成長する姿を受け入れていく。

 

そして「何か一つクリアして改善されて…あれもできてるじゃん、これもできてるじゃんって見えてくると、だんだんそれが自信に繋がっていって」 と子育ての自信を身につけると、休日などには父親が積極的に子育てに関わり、子育てを楽しむ様子が語られた。

 

ダウン症児が生まれてから、父親は妻のサポートや仕事といった役割を担い、ダウン症児と直接関わる時間が制限されていたことで、ダウン症児との適切な距離感を掴めず、子育ての満足感を得ることが難しかったと思われる。

 

しかし、子供がある程度成長し、家庭生活も安定してくると、父親も確実に成長する我が子の姿に喜びを感じ、我が子との距離を縮めていく。

そして、父親自身も子育ての自信や楽しさを発見していた。

うーん。。。

研究者の父親への肩の持ち方が激しすぎて笑えますね。

 

これ、『子供がある程度成長し、家庭生活も安定してくると』ってことは、父親は家庭生活が不安定な間は、子育てから雲隠れしてたけど、安定してきたんで子育てに参加するようになり、喜びを感じ始めたってことを書いてますよね。

一番大変な時を避けてたらアカンやん…

 

実際は違うような気もしますが、妙な肩の入れ方が真実を少し歪にしてる感じがしますね。

まぁそんなお笑いポイント探しは置いておいて、オイタパパも平日は難しくても、休日は家族揃ってお出かけすることが多かったですね。

これは安定期に限らず不安定な時からずっとです。

何をするのかは家庭ごとに違ってくるのでしょうけど、家族揃って何かするというのはとても大事なことだと思います。

兄弟姉妹がいれば兄弟姉妹も含めて、家族みんなで何かすることで、家族が一つになっていきますからね。

 

我が子の存在を自身の人生に内化していくプロセス

・我が子の存在を自身の人生に内化していくプロセス

本研究では、すべての父親が、ダウン症児を授かり、育ててきた人生を振り返った時、新たな価値観の変化を言葉にしていた。特に、これまで父親が苦しめられてきた「障害=不幸」 という偏見は払拭され、自分の人生に「(児の存在は)なくてはならない」 とダウン症である我が子がいることを肯定的に意味づけていた。

 

ここはオイタパパの考えは少し違います。
今もやっぱり「障害=不幸」という考え(偏見?)はありますから。

 

障害だけを考えた場合、有りか無しかの二択で考えると無いほうがいいと思いますし、障害があることを幸か不幸かの二択で考えると不幸だと思ってます。

ただ、人が生きていく上での幸せって、障害が有るか無いかだけで測るものじゃないですから。

ダウン症の赤ちゃんを授かった時は「障害=不幸=不幸な人生」という考えで頭の中が充満してました。

 

でも、違ったんですよね。

違っていることをオイタは教えてくれたんです。

人生が幸か不幸かを決めるのはダウン症の有り/無しじゃなく、家の中に笑顔が有るか無いかであることを。

 

以上で、研究論文資料からのピックアップは終わりです。

 

この研究では小学生以上のダウン症の子供を持つ9人の父親が調査対象となっていますが、この9人の父親の皆さんも、オイタパパが感じてきた思いと同じような思いを感じてこられたんだなぁ、というのが率直な感想です。

 

このような調査にわざわざ協力している時点で、子供が成長してもなお否定的な考えを持っている人は、ほぼ除外されてしまうと思われるので、これが標準的なものであるかどうかは判然としませんが、このような思いを持つ父親が複数存在するというのは紛れもない事実になります。

 

ただ、自分自身も含めての話ですが、父親はサポート役に徹してしまうことが多いというのは残念な傾向です。

ダウン症の子供は多くの人と密に関わることで成長が促されていくので、いちばん身近なお父さんがサポート役から脱却し、もっと密に関わっていくようになっていって貰えればいいなぁと願います。(オイタパパは反省してます)

 

以上、まだ小さなお子様を育てているお父さん、お母さんに何らかの参考になればと思います。

 

今日の話はここまでとなります。

長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございます。

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