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オイタパパです。
街角で小太りの人が前かがみにゆっくり歩いていると『!』と思うことがありませんか?
オイタパパはそんな経験が結構あります。
で、その人とすれ違う時に顔をちらっと拝見し、”やっぱり”と思ったり、”違った”と思ったりするのです。
まぁ合っていようと違っていようと全く意味はないことなんですが。
ダウン症の人の顔には目が二重でつり気味などの特徴的な共通点がいくつか存在するようで、その特徴的な共通点があるかないかによってその判断をしている訳ですね。
ダウン症の親あるあるではないでしょうか?
オイタパパはダウン症のある次男(以下、オイタと表記します)を授かって20数年のベテラン?ですから、今はその特徴をよく知っているのですが、オイタが生まれた頃はダウン症自体よく知らなかったので、その特徴など知る由もありませんでした。
今日はダウン症の顔の特徴と、生まれた時に顔を見ればダウン症と分かるものなのか について考えてみたいと思います。
生まれた時に顔を見ればダウン症と分かるのか
ダウン症の顔の特徴
ダウン症のある人はどの人の顔もよく似ていると言われますね。
特徴的なダウン症のある人の顔つきというものがあるようですが、その特徴的な顔つきとはどういったものでしょうか。
・目:はっきりとした二重。目尻が上がっている。目が離れている。
・鼻:つけ根が広く低い
・耳:位置が低く小さい。上の方が折れ曲がっている
・口:小さい
他にもありますが、上記の特徴が全体的にはっきりと現れている人 や部分的に強く現れている人 あまり現れていない人 等様々です。
また、そもそもベースとなる親の顔が違うことから当然同じ顔ではあり得ませんが、上記の共通的な特徴が発現することによりどこかしら似た雰囲気を感じさせるのでしょう。
顔周辺の発達状況の違いなどにより生まれてスグから特徴的な顔立ちの人や成長するに従って特徴が強まる人などもいるようです。
これらの特徴は顔の中心部の骨がゆっくり発達するのに対し、その周囲が通常の速度で発達するため皮膚が外側に引っ張られてしまうことにより生じるというように言われています。
オイタの顔
オイタは成人式を数年前に済ませたのですが、今は目鼻耳口ともに上述の特徴を大なり小なり備えており、多くの人が見た目でダウン症だと判断できるようです。
生まれた頃のオイタの顔にはまだそれほど強く特徴が出ていなかったのかどうか、生まれてしばらくの間はオイタパパ、オイタの母(以下、オイタアーヤンと表示します)、じいちゃん、ばあちゃんを含め家族の誰もがオイタがダウン症であるとは思ってもいませんでした。
しかし、かなり時間を置いた後に聞いた話ですが、オイタアーヤンの友人の中にはオイタの出産祝いで産科医院に訪れた際に既にダウン症であることに気付いていた、という人もいたようでした。
これを考えるとオイタパパ、オイタアーヤンも含め家族は誰もダウン症の特徴的な顔自体をあまり認識していなかったということなのかもしれません。
オイタが生まれたときの様子
オイタはオイタアーヤンが里帰りし、オイタアーヤンの実家近くの個人経営の産科医院で生まれたのですが、ダウン症であることの告知は生まれた産科医院からされることはありませんでした。
しばらくしてオイタアーヤンの実家から自宅へ戻った後、自宅近くの総合病院でダウン症との診断を受けました。
それは生まれてから2ヶ月後のことでした。
オイタアーヤンがオイタを生んだのは27歳の時だったので、高齢出産でもなく自分達の子供が先天的な障害を伴い生まれてくる というようなことを全く考えていませんでした。
生まれてすぐの時はあまり泣くこともなく手のかからない赤ちゃんだったため、長男の時に比べ次男は手がかからないねぇ などと呑気な話をしていたような記憶さえあります。
しかし、母乳の飲みが悪いということで通い始めた母乳指導の助産師さんに、大きく生まれた割には体重が増えていないのは心配 と大きな病院での診察を勧められ、総合病院で染色体検査を行いダウン症であることが診断されたのです。
なぜ産科医院でダウン症の疑いがあると告げられなかったのか?
ここで少し疑問が出てきます。
オイタがダウン症だということについて、当時のオイタの家族は誰も分からなかったのですが、オイタアーヤンの友人は誕生後間もなくの産科医院へのお見舞い時点で分かっていたといいます。
では、オイタが生まれた産科医院の先生や看護師さんたちはどうだったのでしょうか?
今、生まれてすぐのオイタの顔を写真で確認してみることにしました。
これは生後10日前後のオイタの顔です。
・目:はっきりとした二重(この写真では分かりにくい?)。目尻が上がっている
・鼻:付け根が広く低い
・耳:上の方が折れ曲がっている(この写真では見えない)
・口:小さい
また、顔が全体的に中央に集まっている感じを受けます。
全てではありませんが、ダウン症の顔の特徴をかなり押さえた顔をしていたことが分かります。
(でも可愛かったのも事実です。←親バカ)
これにプラスして、手の平の”ますかけ線”もくっきりしていました。
ここまで特徴を押さえていると、プロである産科医さんがわからない筈はないでしょう。
もちろん断定は出来ないでしょうが、疑いは間違いなく持っていたのではないでしょうか。
では何故、小児科での診断をすすめることなどもしてくれなかったのか?
これは大きな疑問です。
まぁ今更考えたところで答えは闇の中で、例えその答えが合っていたとしても特段の意味もないんですが、、、、
答えは、
『単純に面倒』
だったんじゃないでしょうか。
当時の産科医院の考え方を想像してみる
あくまでも今更ながらのオイタパパの想像ですが、当時の産科医院の先生たちがどのように考えていたのかを考えてみます。
・産科医院での入院期間は出産後せいぜい1週間。
・この期間中に仮に染色体検査を受けたとしても、退院後でないと確定診断の結果は出ない。
・しかし家族へのフォローは必要になる。
・これはかなり大変だし面倒くさい。
・特に入院している母親のフォローは本人の動揺も大きいだろうし大変。
・また入院している他の母親等への影響もかなり大きそう。
・面倒なので黙っていよう。
・うちの病院が今言わなくてもそのうち誰かに言われるでしょ。
そういう考えだったように想像します。
あくまでもオイタパパの少し恨みのこもった想像ですが…
医師としてどうあるべきだったのか
一人の人間として考えた場合、厄介事は避けたくなるという気持ちは、分からないことでもないかもしれません。
ただやっぱり当事者である家族としては、そういう可能性があるということについて早めに教えておいて欲しかったなぁとは思います。
何故か?それは場合によっては気の持ちようだけの話ではなく、命に関わりうる話だから。
事実、オイタは心室中隔欠損症という心臓の合併症を持っていました。
心臓に穴が空いていたのです。
結果的には1年後には自然治癒する程度の病勢で済みましたが、それはあくまでも結果論です。
ダウン症は命に関わる病気を合併症として持つ可能性がある というのは産科医なら当然の知識として持っているはずです。
そうであれば極力早くそのリスクへの対応を考えなければいけない立場 に産科医はあると思います。
100歩譲って面倒くさかったとしても、退院時点でダウン症の可能性があることについて教えて欲しかった という強い思いが今はあります。
おわりに
オイタがダウン症であることが分かったのはそれから2ヶ月後のことです。
もしオイタの心臓の合併症が重ければ、どのような状況になっていたのか、、、、、タラレバの世界になりますが笑い話では済みません。
あれから20年以上の月日が流れました。
昨今は昭和が残る当時と比べ倫理観も随分と厳しくなっています。
オイタが生まれた産科医院の先生と同じような考え方をする産科医が今はいないことを祈るばかりです。
あくまでも今更ながらの想像ですが。