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ダウン症と天使。天国の特別な子を託された理由と家族の戸惑い

この記事を読むのに必要な時間は約 10 分です。

ダウン症は天使じゃない。でも生まれてきてくれたことが最高の贈りもの

オイタパパです。

『ダウン症の子供は天使』と言われることがよくあるようです。

親が言ったり、周りの人が言ったり、人それぞれに色々な受け止め方ができる強いインパクトがある表現だと思います。

 

ダウン症のある人の多くが、穏やかで人懐っこくいつもニコニコしている という特徴を有していることが多いこともあるのでしょうが、恐らく『天国の特別な子ども』という詩がその表現の元となり、少し内容が入り混じりながら口伝されていく中で『ダウン症の子供は天使』というように落ち着いてしまったのではないかとオイタパパは推測しています。

 

冒頭に書いたように、人それぞれに色々な受け止め方ができ、しかも強いインパクトを持つ表現ですので、もし口にすることがあれば少し注意が必要な表現ではないかとオイタパパは思います。

今日はダウン症と天使について考えてみたいと思います。

 

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ダウン症と天使について

天国の特別な子ども

まずは表現の元になったと思われる『天国の特別な子ども』という詩について、この詩にオイタパパが最初に出会った時のことも思いだしながら考えてみたいと思います。

なお、この詩では『天国の特別な子ども』のことをダウン症の子供であるとは特定しておりません。

しかし、内容的にダウン症を含む先天的な疾患をもつ子供のことを表していると思われ、また『ようこそダウン症の赤ちゃん(三省堂)』という本の巻末に書かれていた詩であることを踏まえ、ここでは 天国の特別な子ども はダウン症の子供のことだということで進めています。

 

===
会議が開かれました 。地球からはるか遠くで。
「また次の赤ちゃん誕生の時間ですよ」
天においでになる神様に向かって、天使たちはいいました。
===

で始まるこの詩は、より多くの愛情を注いで育てる必要がある『天国の特別な子ども』が幸せな生涯を送れるよう神様と天使たちによる両親選びの模様を描いた詩になります。

 

この詩のなかでの『天国の特別な子ども』は
・この子の成長はとてもゆっくりに見えるかもしれない
・もしかすると一人前になれないかもしれない
・この子の思うことは、なかなか分かってもらえないかもしれない
・何をやってもうまくいかないかもしれない

という大きなハンデキャップを背負いこの世に生を受ける宿命があります。

このため神様と天使は『天国の特別な子ども』を託すに足りうる両親を注意深く探すのだとこの詩はいうのです。

 

ダウン症-天国の特別な子ども-天使

ダウン症の子供の特徴を端的に捉え、ダウン症の子供を授かった両親に向け、何故自分たちが選ばれたのか、またこれからどう進んでいくべきなのかを示したとても素晴らしい詩だと思います。

この詩では神と天使が『天国の特別な子ども』のために会議を開いており、『天国の特別な子ども』は天使とは異なる存在です。

 

しかし、この詩における『天国の特別な子ども』と『天使』が少し入り混じりながら口伝され広がっていく中で、いつしか『天国の特別な子ども』と『天使』が完全に混同されてしまったのではないかとオイタパパは推測しています。

そして、いつしか詩は置き忘れられ

『ダウン症の子供』=(『天国の特別な子ども』)=『天使』

と言われるようになったのではないでしょうか。

 

天国の特別な子どもオイタ

次男(以下、オイタと表記します)を授かりダウン症だということが分かってしばらくしてから、オイタパパと妻(以下、オイタアーヤンと表記します)はこの詩と出会いました。

面と向かって口にこそ出さないものの毎日のように、
・なんでうちの子に限ってダウン症なんだ
・なんで1000人に1人の子供がうちに来てしまったんだ

という考えに頭が支配されていた頃だと思います。

そんな時に『ようこそダウン症の赤ちゃん』という本に出会い、その巻末に書かれていたこの詩を見つけたのです。

 

もちろんこの詩を読んだからといってすぐに何もかもすべてを受け止められた訳ではありませんが、それでもオイタアーヤンと二人で声に出しこの詩を読み合うことで、
・オイタは特に気をつけて育てていく必要がある特別な子
・特別な子であるオイタが幸せに過ごすために私達のもとに生まれた
・私達はこれからオイタと共に幸せになっていくのだ
・生まれてきてくれたことが天からの最高の贈りもの

と考えるようになり、少しずつではありますが前向きに受け止めることが出来るようになっていったように思います。

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他人から見た天使と親から見た天使

話は少し変わりますが、オイタパパの推測からすると少し誤って伝わっていると思われるこの『ダウン症の子供は天使』という表現について、『天国の特別な子ども』という詩を知らない人はどのように受け止めているのでしょうか。

 

Yahoo知恵袋で『ダウン症 天使』で検索すると、
・ダウン症児は天使と親がよく言っているが意味が分からない
・ダウン症が天使なら健常児は悪魔なのか
・天使っていうことは人じゃないっていうことか

など どちらかというと否定的な意見、悪意のある意見が多く目に付きます。

また、上のような意見はダウン症の人を近い関係に持たない人が多く投稿されているようですが、
一方、自分の子供がダウン症の方からも

・友人からダウン症の子供は天使だよなどと言われたが、とてもそのように簡単に受け容れられるものではない

というような投稿もありました。

 

独り歩きする危険性のある言葉

Yahoo知恵袋の投稿が全てではないでしょうが、『ダウン症の子供は天使』という表現は、言葉のニュアンスが受け手の感受性に大きく左右され、発言者の思いとは別に言葉だけが独りで歩き出す危険性のある言葉だと思われます。

 

ダウン症の近親者であろうとなかろうと、誤解を招くのを避けるためには、あまり使わない方が無難な表現の一つです。

言葉のすれ違いで無用な悲しみを背負う必要はありません。

 

任務を終える日は…

オイタは20歳を過ぎました。

オイタは今も成長を続けています。

自立して一人で暮らしていけるかというと、まだそこまでは届いていません。

少し手助けが必要です。

今も神様と天使から託された特別な任務は続いています。

でも、もう少しかな。

少しの手助けがオイタアーヤンとオイタパパでなくても良くなる日。

それが任務の完了日…

なのでしょう…

 

今日の話は以上となります。

最後までお読み頂きありがとうございます。

 

詩『天国の特別な子ども』

『天国の特別な子ども
(作:エドナ・マシミラ/訳:大江 祐子)

会議が開かれました。
地球からはるか遠くで
”また次の赤ちゃん誕生の時間ですよ”
天においでになる神様に向かって 天使たちは言いました。
”この子は特別な赤ちゃんで たくさんの愛情が必要でしょう。
この子の成長は とてもゆっくりに見えるかもしれません。
もしかして 一人前になれないかもしれません。
だから この子は下界で出会う人々に
とくに気をつけてもらわなければならないのです。
もしかして この子の思うことは
なかなか分かってもらえないかもしれません。
何をやっても うまくいかないかもしれません。
ですから私たちは この子がどこに生まれるか
注意深く選ばなければならないのです。
この子の生涯が しあわせなものとなるように
どうぞ神様 この子のためにすばらしい両親をさがしてあげてください。
神様のために特別な任務をひきうけてくれるような両親を。
その二人は すぐには気がつかないかもしれません。
彼ら二人が自分たちに求められている特別な役割を。
けれども 天から授けられたこの子によって
ますます強い信仰と豊かな愛をいだくようになることでしょう。
やがて二人は 自分たちに与えられた特別の
神の思召しをさとるようになるでしょう。
神からおくられたこの子を育てることによって。
柔和でおだやかなこのとうとい授かりものこそ
天から授かった特別な子どもなのです”

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